月別アーカイブ: 4月 2011

Face to Face to Face展レビューNo.3  レビュアー:haruka

Face to Face to Face展レビューNo.3 「金子絵美+石橋百合香 × 栗原広佑」レビュアー:haruka  作家と作品とギャラリーと鑑賞者との豊かな関係。それは、展示場所が個性的であればあるほど、はっきりと感じられる。場の持つ求心力、その渦の中で揺さぶられた感性は、作家、そして彼らが作る作品に変化を与え、それを観る鑑賞者にも特別な感情―ここでしか実現しえなかったものをを観たという興奮ーを抱かせる。F3展は、実際にこの体験ができる展覧会だ。  1階で行われている「金子絵美+石橋百合香」の展示は、2人展の魅力を打ち出したものとなっている。2人は、全く異なった個性を燃やしながら、それぞれ油絵を4点展示している。 金子絵美は、どっしりとした質量が感じられる油絵を描く。木の幹と根元にクローズアップし、それを画面の中心に据えた《居場所がある》は、幹の重量感と不動性が、タイトル通り「居場所」を創り出している。また虹色の羽を鮮烈に輝かせた2匹のオウムを背面から描いた《日常》では、片方のオウムは目を開き、もう片方はそれを伏せ、人間のような表情で佇んでいる。サルを描いた《発見》も含め、金子絵美は、密林の中に立ち上がる濃密な一瞬を、精神世界との狭間で描いている。 一方、石橋百合香は「かわいいの奥にある、かわいそうを感じる独特な女子世界を表現する」と自身でも語るように「女子」の危うげな二面性を描く。彼女が描く「女子」は口を持たない。その代わり、まつげが強調された大きな目が、水平に断ち切られた前髪の下から覗き、それを支える身体は、円や線の集合によって形作られている。その装飾的かつ平面的な描写が、幻想的な雰囲気を盛り上げる。そして、全ての作品で用いられている蛍光ピンクの塗料が、作品間の共通媒介として、独自の世界観を構築している。実存としての自分と、精神的イメージとしての自分が、交互に現れるかのように、対比して展示されることで「女子」の深みが見えてくる。 このように、それぞれに強烈な個性を持った2人は、このF3展の説明会で初めて出会ったと言う。とはいえ、中学時代の予備校も、高校も大学も、画材も同じで、ずっと隣を歩いて来たようなものだった。ただ、出会うきっかけがなかったのだ。その2人が、お互いを理解し合うための手段として描いたのが《face》だ。互いの個性を一度自分の中に取り込んで消化し、改めて表現することを試みたこの作品は、着座した女性と、寄り添う黒猫という同一のテーマをそれぞれが描くというものだった。金子は荒々しいタッチと色彩でプリミティブな女性像を提示し、石橋は輪郭線の中に丸や線で構成された独特の記号を転がして「女子」の姿を見せた。 この展示では、それぞれの作家が持つ鮮やかな個性を知った上で、それらがぶつかり合う瞬間に立ちあうことができる。  次に、狭い階段を抜けて地下に向かうと、そこには栗原広佑がインスタレーションで表現した世界が広がっている。白壁に白い不織布を張った空間が彼のフィールドだ。日常に溢れるものが、その固有のスケールを崩すと、私たちは困惑する。と同時に、少し気持ちが高ぶる、という体験を展示している。 《a boxed landscape》と題された絵は、彼の世界の設計図だ。指先ほどの小人から日常を営むサイズの人間まで、様々な大きさの人間が共存する世界に、人間よりも大きな動物や、日用品があわせて描かれている。そして栗原は、この適切なスケールを失った奇妙な世界をインスタレーションで再現する。床に置かれた机の上には、パソコン、本、ペン、ライター、皿、グラスといった日用品が並び、そこに小人が配置され、全てが白塗りになっている。また、白い不織布で作った様々な型の洋服が壁に吊るされている。これらは皆、絵の中で見た世界だ。ただし、一緒に飾られた緑の植物と土に残った足跡は、白の世界から逸脱している。この無機質な物体と自然の生命力の対比もまた、スケールが横転した世界を、そしてその間にできた歪みをよく表している。 展示場所がカフェの地下であることから、水道の音や、足音が響く。その環境音もまた、このインスタレーションに特別な表情を与えている。この地下での展示は、作品のコンセプトと、展示場所の個性が共鳴しあうおもしろさも体感することができる。 【Face to Face to Face 公式ブログ】 http://blog.livedoor.jp/f3_2011/   

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Face to Face to Face展レビューNo.2  レビュアー:井ノ上 薫

Face to Face to Face展レビューNo.2 「安生成美×足立篤史」レビュアー:井ノ上 薫 上野駅到着。曇り。 修学旅行生らしきおそろいの制服姿や家族連れが目につきます。上野動物園近くで賑わいのピークに達し、「いいなー久しぶりに行きたいなー。」などと思いながら進むと、気がついたら東照宮をはじめとする歴史のある建物に囲まれていました。さらに行き、不忍池、上野公園を横目に通り過ぎます。木々の隙間から馬が見え、思わず「かわいい」。森鴎外の昔の住居に感動しつつ、分かれ道で坂を登ると…。着きました。Café et Galerie Moineau 地図をきちんと見ずにやってきたので、おそらく回り道をしてしまったようです。若干疲れつつ、だけど移り行く景色を楽しみながらの到着です。 入って右手にある部屋では、安生成美さんの文字作品が並んでいます。カフェが洋風なだけに、漢字だらけの空間に、違和感。作品を一つ一つ見ていくと、「耽学好古」の文字の横のキャプションに目が止まりました。 古いものを好み、学びに没頭するそんな言葉の意味に自分(安生成美さん)を重ね合わせているそうです。「こんな思いが込められているんだ!もの静かな方なのかな。」 そんな文字は、文字なのだけど私には跳び跳ねる人のように見えました。文字なのに文字じゃない。文字の意味以上の何かが伝わってきそうな。そんな気がしてきます。もしかしたら、安生さんはこの飛び跳ねる人のように熱い情熱を持った方なのかもしれない、とふと思いました。 狭い階段を降りると、天井の低い秘密基地のような地下室。空気がひんやりしていて、上のカフェで使った水の流れる音が聞こえます。まさに本物の秘密基地のようです。 ここには、過去の事件の資料を使って、その事件に縁のある乗り物を形作った作品が並んでいます。ふと目が止まった先には、飛行機の模型。こちらを向いているたくさんの人間の写真で覆われており、ところどころ焦げていました。「この飛行機に乗っていた人々はどんな思いで墜落していく自分と向き合っていたのかな。」想像するとぞっとします。シンプルな飛行機の模型に過ぎないけれど、そこには人と歴史の重みがこめられているような圧力を感じました。 階段を登りカフェを出ると、当然そこはさっきまで来た道です。だけどそのことが何だか不思議でした。どうしてそう感じたのだろうと考えると、さっきまでいた空間がどこか異質な空間だったからなのかもしれないなぁと思いました。 私がこのカフェまでたどり着き、作品と過ごした物語。作者が作品を作る過程で生まれた物語。作品の中に込められた歴史に基づく物語。他にも、このカフェで働く人々や、私の他にも見にきた人々の一人一人が持つ物語。 いろんな物語が1つの場所で出会うって、考えてみたら不思議です。 「行って良かったな。」新しく人と出会った後のような嬉しさと満足感を感じながら、正岡子規記念球場の脇を抜けて私は再び上野駅に戻ってきたのでした。 【Face to Face to Face 公式ブログ】 http://blog.livedoor.jp/f3_2011/   

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Face to Face to Face展レビューNo.1  レビュアー:慶野 結香

  Face to Face to Face展レビューNo.1 「安生成美×足立篤史」レビュアー:慶野 結香   “Face to Face” 英語だけれど、カタカナ言葉としてもよく耳にする言葉。「向かい合って、相対して」つまり、文字通りに「顔と顔」をあわせ合って。  二人の人間が、顔をあわせ合っただけでも、世界が広がる可能性を感じる。もし仮に、一人であったとしても、鏡で自分と向かい合っただけでも、見えないものが見えてくることがある。しかし、今回の展示は、”Face to Face to Face展”。  「顔と顔と顔」をあわせ合った時に、どんなことが起きるのか。公式ブログには、コンセプトとして「モアノからはじまるFace to Faceのつながり」と書いてある。「顔」は、二人の作家(の作品)とモアノに足を運んだ私、でもいいだろうし、モアノという、ギャラリーでもありカフェでもある空間と作品と私でも、何も三つや、顔、にとらわれる必要も無いのだと思います。    一階の陽光注ぐ展示室には、安生成美の書の作品。  普段、私たちは文字を無意識のうちに、情報を伝達するメディアとして使用していることが多いのではないでしょうか。小学生の時に、書き初めを体験して、人が一人ひとり違うように、文字もそれぞれ違って、下手でも味がある字を書く人もいれば、言葉の意味をより引き立たせる美しい文字を書く人もいるということを多くの人が知っているはずなのに。  安生成美の書を通して、文字に対する芸術感覚を、ふと思い出しました。  作品は、紙に墨で書かれたもの(書)と、書を木などに自ら刻んだ(自書自刻)「刻字」とに大別されます。  現存する中では中国最古の石刻とされている詩を書いた《臨 石鼓文》。王の狩猟の詩であるという説明書きがなかったとしても、書の様子から、活き活きとした生命の様子と、書かれた文字一つひとつが、物語を伝えるパワーを持っていることがきっと感じられるはずです。  その文字のパワーを支えているのは、きっと《野趣》や《温習》、《耽学好古》という言葉たち。作品名にもなっているこれらの言葉は、書を越えて私たちに迫ることでしょう。    地下のギャラリーでは、地上とは打って変わった雰囲気で、足立篤史の紙を用いた立体作品を展示。  その作品のかたち(様々な乗り物)について語るメディア(新聞や資料)によって、かたちづくられた作品たちは、《物語り〜YAMATO〜》という作品名も示すように、形態と文字による記憶の相乗効果によって、物語を語り出すように感じられます。  その「記憶」について、戦時中の写真資料を用いてかたちづくったのが、新作でもある《記憶〜KAITEN》、《記憶〜ZERO》という二作品。  写真と記憶の関係性に着目して作品制作を行っている作家としては、クリスチャン・ボルタンスキーが有名ですが、足立篤史の作品は、戦闘機に関わった人々の写真を用いながら、回天や、左翼が焼け崩れた零戦を精巧につくることによって、様々な人々が回天や零戦に寄せる記憶や感情を、作品により凝縮していることが感じられました。    安生成美の書も、足立篤史の立体作品も、文字が作品に用いられていることは共通していますが、作品のジャンルや文字に対する姿勢もきっと違います。  また、モアノの展示室も、明るい一階と秘密の教会や洞窟といった風情の地下展示室とでは、全く違った雰囲気を持っている。  しかし、モアノの展示室の一階と地下階が小さな階段で繋がっていて、地上からの光がうっすらと地下からでも感じられるように、二人の作品も、現在の自分で完結するのではなく、過去の人間が遺そうと思った言葉、物語、景色、顔といった歴史性に支えられている。それは、我々人間の普遍的なありかたではないでしょうか。  ぜひ”Face to Face to Face展”に足を運んで、実際に「顔と顔と顔」をあわせ合って、あなただけのつながりを見出してみてください。 【Face … 続きを読む

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