月別アーカイブ: 7月 2011

2011年7月24日(日) 永山マキ × イシイタカユキ DUO LIVE

2011年7月24日(日)    「The Secret Garden 〜 ガラス越しの終わらない絵」   開演    1部14:30~ 2部15:30~  (入れ替え無し)   出演     永山マキ(vo) イシイタカユキ(G) 当日はライブのため貸切となります。ご了承ください。   永山マキOffcial site  http://www.maki-nagayama.com/  

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Face to Face to Face展レビューNo.11  レビュアー:荒巻美衣

Face to Face to Face展レビューNo.11 「大石麻央 × 内ゆき+新直子」レビュアー:荒巻美衣 モアノを訪れる人は何を求めてその扉を開くのだろうか、 初めて訪れた人なら誰しもが、庭園にあふれる季節の植物たち、店内に流れるフランス音楽、ガレットの香ばしい匂い、装飾の施された白い壁に、まるで美しい避暑地に迷い込んだような非日常を感じるだろう。モアノの1階と地下部分のギャラリースペースはその非日常感をさらに引き立たせているように思う。今回、私は「日常」をテーマに今回の展示について述べていきたいと思う。 地下にあるのは筑波大の新直子と内ゆきの作品たち。まず目に入るのが入り口にある作品「Facetofacetoface」。二つの顔の彫刻に挟まれた、少し低い位置にある一枚の鏡を覗き込むと、外の暑さで頬の火照った自分の顔が映る。いつも見慣れた私の顔だが、まるで自分の顔さえも一つの作品の一部になったような気分になる。「他人は自分を映す鏡」と言うが、彼女たちの経験や個人的背景を色濃く映し出す作品たちによって、この展示を見て何を感じ、きっとその揺れ動いた心は、鏡の中に写る私に反映される。最後にもう一度、この作品の鏡を覗き込んだときの私は、数分前の私と違って見えるかもしれない。内ゆきによる彫刻作品の数々は、素材の味を活かし、豊かな表情をしている。「魚心」からみる荒削りされた木片でできた魚の作品もまた、生存競争の激しい海でしのぎを削った魚の命の力強さを感じる。さらに壁には、新直子による水彩と鉛筆でかかれた小作品たち「Drawing」がある。素朴な画風で人々の日常を軽いタッチで描く。黒い蝶ネクタイをした紳士に、後ろを走る不思議な2人組、じっとこちらを見つめる赤い顔の人、カラフルな顔の人がたくさんひしめき合ったもの、どこか生活の一部を切り取ったような作品たち、一個一個の作品に物語を感じる。私たちの日常もまた、一つの物語のようなものではないだろうか。何が起こるかわからない、私たちの前に起こる出来事に一喜一憂し、心を動かされ、また明日がやってくる。悲しいこと、うれしいこと、悔しさ、怒り、日常にあふれる物事は、当たり前のようで非日常で特別なのである。 一階に行くと、ピストルを片手に持つうさぎが一際目を引く、大石麻央による作品がある。「今日はおうちでごはん」と題された作品は、壁一面めいいっぱいに広がる大量の家庭の冷蔵庫に向かって、ピストルを撃つうさぎ、傍らに白い動物のマスクを脱ごうとする2体がたたずんでいる。このうさぎ、背丈も成人女性と変わらないくらいで、ワンピースを着、カレーの素材が入ったビニール袋を持つ。まるで人間のようである。作者はこう述べている「動物のマスクを被る人体は、私の一貫したテーマのもとにあります。 人は人を好きになるときにどこで判断するのか? 見た目を好む好まないに関わらず、好きだという気持ちに、性別も年も人種も信じるものも人であるかどうかさえも関係ないと思うのです。(引用)」どこか、不気味で不穏な空気が流れるこの作品。しかし、好きな人、親しいものに対する、暖かな感情を感じる。みんなそれぞれに家庭がある。家族という存在は、結びつきが強い分、衝突したり、愛おしくなったりする。家庭に向かってピストルを撃つうさぎに、愛すること、憎しみ、の表裏一体の思いを感じた。それは、誰にだって持ちえる感情。たんたんとした日常であっても、起伏はある、でも私たちは切っても切れない家族の絆を守り続けているのである。 私たちは、朝起きて寝るまでに今日一日、一体どれほどの数の人と出会っただろうか?自分が意識していないところでも、駅までの道、電車の中、ふらりと立ち寄った店、実にたくさんの人と出会っているはずだ。すれ違ってきた人、それぞれが「日常」を過ごし、過去を作り、明日へ向かう。今まで他人だった者同士が顔と顔を向き合わせて話す。二人の過去が交差し、個々の背景に共通した何かを見出すとき、私たちの世界は広がり、深まっていく。Face to face、それは新しいつながりの始まりなのかもしれない。  【Face to Face to Face 公式ブログ】 http://blog.livedoor.jp/f3_2011/   

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Face to Face to Face展レビューNo.10  レビュアー:池田寛子

Face to Face to Face展レビューNo.10 「大政愛+塩満幸香 × 山本ひかり」レビュアー:池田寛子 自然がたくさんあり、動物園や美術館を巡って文化的な気分に浸れる場所、上野公園。そんな上野公園の近くに、Moineauはある。大政と塩満の作品は、まさしくこの土地にぴったりで、作品たちが故郷に帰ってきたような感覚がした。   動物たちを多彩な絵の具でほんわかと楽しげに描いた大政の作品は、動物たちの生命観を感じさせてくれると同時に、動物園に行った時のような、わくわく感を私たちに与えてくれる。『chromatic』のように、一面ピンクの背景にのんびりとした表情のぬいぐるみのような白クマがいたかと思えば、『in the water』のように、水の中にざぶん!と入った瞬間のちょっと写実的で生き生きとした白クマの顔があったり。私はギャラリーを回りながら動物たちの表情をひとつひとつ見つけて、楽しんだり和んだりしていく。そうしている途中に、私はこの場所で作品を鑑賞している「今」が楽しいという気持ちに気がついた。 一方、塩満の作品は同じく色合いは多彩であるが、静かで、落ち着いた表情を持っている。こちらの主なモチーフは木だが、風景画というよりかは作家が作り出す独特の世界が描かれている。木の根元に広がる雑草と澄んだ青色の沼地が描かれた『君にささやく』。ピンク調の木の根が青みがかった画面の下深くまで伸びている世界『人生はおくりもの』。作品を眺めているうちに、人生の休息へ誘うメッセージが込められた不思議な世界へと吸い込まれ、色彩の織り成す深い味わいに包まれながら、これからの長い長い自分の人生つまり「未来」へと思いが馳せられていく。   地下に展示されている山本の作品は、インスタレーションにデッサンに日本画とその形態はバリエーションに富んでいるが、それぞれの作品に「句てん」が組みこまれている。三枚連続の平面作品では、何層にも重ねられた「句てん」は渦巻き模様のようになって三つのカンヴァスの上を流れていく。行きつく先には、青の色調で描かれた裸婦の後ろ姿がある。この作品を見ながら、私は生命の連続性を感じていた。「句てん」の塊たちが、今までを生きた生命の塊に見えてきたからである。「句てん」たちが吸い込まれていく裸婦と自分を重ねあわせ、「過去」を生きてきた人や動物や植物の命が今の私に繋がっているのかなと漠然と感じた。 モチーフはそれぞれ違うし、作風も違う。しかしピンク調の作品と青調の作品が三人ともにある、というちょっとした共通点もあった。偶然のたまものであろうが、それぞれ異なったことを考え、異なった場所で制作した異なったモチーフの作品に、共通点を見いだせるだけで、なぜか楽しかった。そうして繋がりを見つけながら三人の作品を見ていく中で、過去・現在・未来に思いをはせ、結果として統括的に自分の人生を考えるという貴重な時間を持てたように思う。 【Face to Face to Face 公式ブログ】 http://blog.livedoor.jp/f3_2011/   

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Face to Face to Face展レビューNo.9  レビュアー:難波寛彦

Face to Face to Face展レビューNo.9 「大政愛+塩満幸香 × 山本ひかり」レビュアー:難波寛彦 私が一人でモアノを訪れたのは、ある蒸し暑い日曜日だった。 まず、入ってすぐ左手にある小さな階段を下りて地下へ。 そして、再び階段を上り、庭に面した開放的な一階へ。 作品、空気、光、匂い。 「この感覚を誰かと共有したい」 そう思い、二人の馴染みの友を引き連れ、再びモアノを訪れたのが明くる日。 ひんやりとして、どこか漆喰のような匂いが感じられる地下には山本ひかり氏の作品世界が広がる。 どの作品にも共通しているのは、均等に幅がとられた線を幾重にも巻いたモチーフである。 それは、時にミステリーサークルのように、波紋のように、等高線のように・・・と姿を変える。 特に印象的だったのは、それらを写実的な人の体とともに描き、作中で共存させていたことだ。 一見、無機質に見えるそのモチーフは、有機的な人の体と合わさることで「動き」を見せていた。 そう、まるで生きているかのように。 陽の光が射し込む一階では、大政氏と塩満氏の作品が壁一面に展示されていた。 「ふもふもとした動物」を好むという大政氏は、その言葉通り、毛並が美しくふくよかな動物を多く題材にされている。 パンダ、シロクマ、ペンギンなどがそうだが、その動物たちに施されているのは、なんともカラフルな彩色。 ミスマッチにもとれるそれであったが、不思議と違和感はなかった。 それはおそらく、色が、動物たちの内から湧き上がる感情や体温のように感じられたからではないだろうか。 一方の塩満氏の作品は、木を題材としたものが多く並ぶ。 オカリナのような形に朽ちた木、力強く根を張る大木。 どれも寂寞とした雰囲気を醸し出しているが、その奥に見える僅かな光が目を楽しませてくれる。 さらに、ロンドンのタワーブリッジを題材とした作品もあったのだが、そちらは非常に写実的で、遠目には写真に見えてしまうほど。 メランコリックな世界観であったが、そこには小さな光があった。 最後に・・・ 一階のギャラリーに、絵の小熊が立体的な赤い木箱を持ち、その下に「Please open!」と書かれた作品を見つけた。 そっとフタを持ち上げてみると、そこには小さな植物が。 これが何を意図しているのかは分からなかったが、小さな発見に心動かされた。 そしてふと思った。 この企画を通じて、私が作品やギャラリーに出会ったのも、「小さな発見」だったのではないのだろうかと。    【Face to Face … 続きを読む

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Face to Face to Face展レビューNo.8  レビュアー:島矢愛子

Face to Face to Face展レビューNo.8 「大政愛+塩満幸香 × 山本ひかり」レビュアー:島矢愛子 彼女たち3人の作品は具体/抽象で二つに分けられる。しかしながら、それらは共に平面でありながらも「生きていること」を感じさせるものだった。 【具体的に】 大政愛+塩満幸香 「いっしょに箱からとりだそう」平面により描かれる絵は平面である以上は、どこか平面というフレームに納まりがちだ。それを裏切るように、二人の絵に描かれたものはタイトルに沿うように、平面というフレームをするっと超える。彼女たちはフレーム=箱から、動物やもののいきいきした姿をとりだそうとしているのではないだろうか。 一つ、白クマの絵をあげてみる。白クマは白であるのには間違いない。体はしろくて眼と鼻は黒で…。こんな想像がつく。そんな白クマを白で描くのではなく、様々な色彩を使うことにより、彼らのもつ雰囲気を脈々と感じるような描写がされている。微笑み。喜び。悲しみ。展示空間にいたものからそんな表情を読み取ることが出来た。納まりがちと私が思う平面の中に確かな「生きていること」を感じさせてくれる。 【抽象的に】 山本ひかり 「句てん。」まず、日本画のイメージとして浴衣を着た女性がかかれる想定が頭の中にあった。そんなイメージがすぐに崩されて、新聞紙を使ったインスタレーションとともに眼に入る。無数の円。何重にも重なる円。それらが色彩をおびながら、独特の風景を描く。大政愛+塩満幸香の2人と違い、山本の描く絵は抽象的ではあるのだが展示されている空間に最初からいたように呼吸しながら存在している。 雨が降ったりやんだり、となんだか落ち着かない梅雨の今。彼女たちの色彩豊かな絵をみて、ぜひ気持ちを晴れにしてみてはどうか。 【Face to Face to Face 公式ブログ】 http://blog.livedoor.jp/f3_2011/   

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Face to Face to Face展レビューNo.7  レビュアー:輿水愛子

Face to Face to Face展レビューNo.7 「山本恵海 × 杣田輝」レビュアー:輿水愛子 じめじめとした季節。朝、目が覚めるたびに体がじっとりと汗ばみ、全身からカビが生えそうな、重苦しい空気をまとう。憂鬱な気分を晴らすために、外に出る。じめじめした家の中とは一転、5月の東京は初夏の湿り気を帯びながらも、風は涼しげだ。家を出た足は、そのままカフェ&ギャラリーモアノへと向かった。 モアノの扉を開けたとき、目に入ったのはきのこだった。3歳児くらいの大きさはあろうかという、大きなきのこ。山本恵海の作品だ。青やオレンジのしま模様。リボンと金の水玉模様。パッチワークの模様・・・。色とりどりの巨大なきのこが、モアノに生えていた。というか、立っていた。ぷりっとしたおしりの部分から、こどもの足のような、愛らしい2本の足が生えている。先ほどまで、まさにきのこが生えてきそうだったじめじめ気分の私は、急に笑みに包まれて、なぜだかすうっと軽くなっている。つんっと、きのこの頭をつつきたくなって、ぐっと手を引っ込める。でも、なんだか心が、立ち並ぶきのこたちとふれあっているような、不思議な感じがする。 洞窟のような地下に降りていくと、ひとりの少女の力強い眼差しを感じた。少し泣きそうなのか、切れ長な目が不機嫌そうに揺れている。釘付けになる。そのまま洞窟の内部に入ると、そこには、さまざまな“窓”があった。杣田輝の作品。実際には日本画作品が複数並んでいるのだが、そのあまりの画風の違いは、およそ1人の人間から生み出されたとは思えない。窓からのぞく風景は、作家の視ている世界である。瑞々しい柿の肌にうつる光の粒。友人のふとした表情。宙に浮かぶ妖精のような、幽霊のような女性。そして、ぱっくりと引き裂かれた、まるで大きな傷跡を抱えたような、歪んだ人影・・・。これを、あの1人の、切れ長の目の少女が生み出したのか。繊細で、痛々しくて、そしてどこか力強い。思わず、窓の一つ一つをじっくりと覗き込んだ。  モアノを出る頃、外は過ごしやすい夕暮れになっていた。カビが生えそうだった私の体は、嘘のように、軽やかになっている。立ち並ぶきのこと切れ長の目の少女に、私は思わず手を振った。 【Face to Face to Face 公式ブログ】 http://blog.livedoor.jp/f3_2011/   

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Face to Face to Face展レビューNo.6  レビュアー:善名朝子

Face to Face to Face展レビューNo.6「尾張真理+納富馨子× 舟津明日香+永瀬智美」レビュアー:善名朝子 同じ時代にアートをしている私たちに、大学や専攻の枠を超えたつながりを作りたい。それも、電子回路上ではなく、「対面」のつながりを作りたい。そんな問題意識の中に端を発する「Face to Face to Face(F3展)」だが、3回目を数える本会期は、私の思いが最もかなった会期だった。 1階に二人、地下階に二人。本企画展中、展示者数という点では最も多い会期。4人が顔を合わせることで、12通りの化学反応が生まれる期待があった。 F3展において二人で展示をおこなう場合、展示者たちは、自然に2通りのやり方に分かれることに気付いた。一つの空間に、二人がそれぞれに間借りする方法。もう一つは、二人が「同居」する方法である。尾張と納富は、後者の方だった。   ■尾張真理×納富馨子展 ”おわりはじまり きょうこのごろ” もともと、二人は2010年度の五美術大学交流展で一緒だった。お互いの人間性、作風の理解は、二人の名前をつなげた ”おわりはじまりきょうこのごろ” という、ニクいタイトルにも表れているように感じる。  尾張の大胆な色使いと、納富の繊細な筆遣い。一見正反対に見えるが、色彩への貪欲な興味と、それを追求しようとする姿勢には、どこか共通点があるのではないか。  3.11の大震災について、アーティストとしての自分を考えたという二人。展示室にはチャリティのポストカードが置かれていた。そして展示室の窓側には、天井近くに絵巻物のような、二人の共作が展示されていた。ハートや鳥、魚のモチーフが入り乱れ、表現する喜びを表現し、伝播させるような、色とりどりで優しい色彩である。  お互いの作品と共作を共存させ、見事に空間を「シェア」した展示である。   ■舟津明日香×永瀬智美 搬入時、地下階の薄暗い展示室には緊張が張り詰めていた。舟津と永瀬は、F3展の説明会で知り合ったという。学校は同じ、しかし面識はなかった。  二人の作品が、お互いに間借りをしながら、空間にさらなる緊張感を生み出した。  舟津の手縫いによる立体作品。肌色と茶、赤という色が一見して人間を思わせる。それらは四角く押し込められ、細部をじっくり見てしまうと、そこにある物語を理解してしまいそうな緊張感に襲われる。それでも、指の隙間からこっそり見てしまうのが人の性である。 永瀬の作品にも不気味さが宿る。マスタード色の球体には顔があるのか、だとすると、赤く流れるのは涙なのか、それとも。静かに、しかし確実に、画面の中では何かが起ころうとしている。そう感じさせる作品が並ぶ。  搬入時に同席していた私は、邪魔だと分かっていながらも4人それぞれと話す機会をもった。私にとっても、自分自身の中で展示者の人柄と作品を結びつける貴重な機会である。この4人にとっても、F3展に関わったことで、今までになかったつながりを結ぶきっかけを掴むことができたなら至上のよろこびである。 【Face to Face to Face 公式ブログ】 http://blog.livedoor.jp/f3_2011/   

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